Wkwktkmk03’s blog

日記とときめいたことと何かのレポ等

大人になるとふとして五年、そういえばの七年、いつのまにか十年という感覚が分かる

 文豪とアルケミストの文豪転生の軌跡を観て、文アルを始めてから私自身にも世界情勢にも色々あったなあということを改めて思い出した。

 二〇一六年。一番人生で苦しかったときに出会ったのが、文豪とアルケミストというげーむでした。短大のゼミの先生に会いに行ったら、後輩にあたる卒業生も来ていました。学年で言えば、四つ下になるくらいの子。私がお土産で買ってきたフルーツパンを一緒に食べながら、好きなものやことについて話し始めた。私が『刀剣乱舞』をやっていることを伝えると、その子もやってます!と応えてくれて、「刀剣乱舞をやっているなら、この文アルもおすすめですよ」って教えてくれたのが始まり。帰宅してパソコンで検索して、画とボイスと音楽の心地よさに引かれて、登録した。初期文豪は織田作之助先生。滅茶苦茶苦しくて悲しい時期だったので、明るいキャラクターのボイスを聞いて癒されたり、許されたりしたかったのだ。

 そして、気がつけば二〇二三年九月。割愛し過ぎであるが、まあ始めた理由はそんな感じである。

 こぼれ話。実は二〇一九年くらいに要介護4の祖母に読んでいる本や読んだことのある本の話をしたときに、祖母は「織田作之助の『夫婦善哉』は、貸本屋の友達が無料で貸してくれたから何度も読ませてもらったよ」と目を輝かせながら話してくれた。祖母は母親の再婚で、義理の父に当たる人の家に入った。「女の子なら養子にしてあげられるよ」と義理の父が言ってくれたので、ランドセル一つを持って、母親と手を繋ぎながら見知らぬ土地に来た。義理の兄弟姉妹に当たる方々は皆年上。その頃は気を遣う場面が多かったり、疎外感を抱いたりするときもたくさんあったということが、祖母の周囲の方の話の端々で知ることができている。そんな祖母は終戦日の次の日に十歳になった人だ。戦後の慌ただしい変遷の中で、『夫婦善哉』を読んで生きる何かを得ていたんだろうなと思う。江戸川乱歩も読んでいたらしいので、もっと色々早めに話しておけばよかった。好きな本の表紙の話とか、好きなシーンの話とか、感動したシーンの話とか。夢でいいから、祖母ともっと話してみたい。そう思う秋の夜長。

虫の闇読みかけの古書の中に入る